家を売った体験談

公共事業が減り資金繰りが厳しくなって家も車も売りました

私は現在51歳で妻は46歳それに子供が中1と中3の2人います。もともと親の後をついで地元でもわりと有名な土建業者を経営していました。

主に公共事業を手がけてそこそこ羽振りよく経営をしていましたが、流石に親の代からの従業員数を減らすことなく軽絵していたのでちょっとした資金繰りの悪化などがあればすぐに困るような体力のない会社でした。それでも5年程前まではそこそこ羽振りが良くて、私も妻もかなり浪費をして日頃のストレスを発散していた感じでした。

東日本大震災の影響で公共事業が大幅アップして調子にノリました

東日本大震災以降はあらゆる場所での耐震補強工事などが活発となり、ご多分に漏れず私の会社も潤っていました。その当時、家が古くなりつつあったので、子供がいずれ高校にあがる時にも通学に便利だろうということで、街のど真ん中の一等地を50坪購入し、デザインにも拘って家を新築しました。

人は不思議なもので、家を新築するとそれに見合うものを揃えないと気持ちが悪くなり、車も車検が残っていたのに、新車に買い替えをしました。夫婦2人しか運転しないのに、車は4台もありました。やはりあの頃はどうかしてたんだと思います。

普通のベンツのEクラスと、ワゴンタイプ、それに、レクサスISーFとフィアット500を保有していました。その頃は、妻の服装もかなり派手で、とくに靴とバッグは相当な数を購入していて、玄関はルブタンだらけで、バッグはケリーバッグを3つも使い分けていました。

公共事業がみるみる減少して資金繰りであっぷあっぷの日々に

公共事業が減るとたちまち会社の資金繰りは苦しくなり、それにおいうちをかけるかのように、受注先の会社があちこち倒産をするなど、工事費用の未回収もかなり抱えていました。

そして、一番の負担となったのが、家のローンでした。なにせ8000万円ものローンですから毎月の返済も莫大です。。。とてもこの先ずっと払っていける気持ちになれず、とりあえずは家を売って、車も社員の手前もあるので私がレクサスで妻はプリウスくらいにすることに決めました。フィアット500とベンツ2台は手放しました。

この頃には新卒採用も5年ほど中止したままで、退職者が出るたびにほっとするような感じでした。

車はすぐ売れたのに家はなかなか売れずに苦戦

不動産屋からはいくら築浅でも売値が6000万円もする家は買い手が限られるのでなかなか売れないと言わました。結局、8000万円で購入した家と土地はわずか数年で5000万で売ることになったのです。

ホントにバカバカしいですが、この値段でも売れたことで家のローンを全て清算することができたので御の字でした。もしもお金をかき集めてもローンの残りを一括で返すことができなかったら、いまだに高額なローンをひたすら返済していたんだと思います。ゾッとします。

家を売って賃貸マンションに引っ越しをしました

家を売ってからは同じエリアにある賃貸マンションに引っ越しをしました。毎月の支払いは今までの家のローンの半分ほどになり、しかも税金や修繕費の心配をしなくていいのはホントに安心間が違いますね。

なかにはマンションを購入することを勧めた人もいましたが、別に資産が欲しいわけでもないし、マンションを買ってしまうと修繕積立金の支払いなどいろんな支出が増えるので、購入だけは嫌だと思っていました。

マンションだと自分でセコムとの契約をする必要もないし、庭の掃除なども必要がないのでホントに気が楽ですね。

一度は家を手放すまでの経験をしているので、これからはどれだけ会社の業績がよくなったとしても、大風呂敷を広げて派手な生活をすることは無いとおもいます。妻も今はユニクロやGUで買った服を中心に上手に安くオシャレな着こなしを楽しんでくれています。雨降って地が固まったような清々しい気持ちです。

ちなみに、家を売って貰ったときには、かなり拘って作った家だったので、友人に紹介してもらった「別荘やオシャレで拘りのある物件」を得意としている業者さんを利用しました。抱えているお客さんの多くはサラリーマンではなくて、予算にも余裕のある経営者が多いという話でした。

そのおかげか、そこに依頼してからはわりと早く売ることができましたね。不動産屋はどこでも同じなんて思ってるとえらい目をみるな・・・と良い勉強にもなりました。